生きるように、造る

みなさんおはこんばんにちは、安東です。

遅ればせながら(ホントに・・・)の新年あけましておめでとうございます🙇

本年もどうぞ宜しくお願い致します。

 

(以下、思いのままに書き綴ってしまいました・・・すぐに消すかも)

 

私事ですが、実家の愛犬・ポコが亡くなりました。

13年と4カ月ということは、私が20代前半からの付き合いだったことになります。

いや~~~~~、本当にかわいい子でしたね~~~~~…(いまだに信じられない・・・)

前に飼っていた愛犬・ピコ(ゴールデンレトリバー)を亡くして気落ちしていた両親を見かねて、私がお金を出して購入したという、本人も忘れていたようなエピソードがあります(笑)

が、お金のことなどどうでもよくなるくらいに、かけがえのない思い出と時間を与えてくれました(・・・イカン、目が・・・)

 

いつもお世話になっている葬祭場のオーナーさんが、

「本当にあなたは良い星の下に生まれました。良いご家族の下に来られて、本当にあなたは運のよい子でした。」

と仕切りに声をかけてくださいまして。

 

「運がよい」とは、どういうことか。

 

昨今、人を殺しただの戦争が起きただの、薬物に手を染めただの汚職だの、人間が生み出すニュースには情けないことばかり。

それに引き換えポコを含め動物たちは、その時その時を懸命に健気に生き抜いている。

それなのに、人間の私利私欲のために命を軽んじられている動物たちがなんと多いことか・・・。

そういう思いを込めて、「良い星の下に生まれた」と絞り出すように表現してくださったのです。

 

このオーナーさんは一見華やかに見えるペット業界の暗部にとても詳しい方。

実はこの大分のあちこちでも目を塞ぎ耳を疑いたくなるような痛ましいことが平然と、そして利己的に行われているそうです。

 

そんな中、安東家という小さな家族に引き取られ、曲がりなりにも穏やかな犬生を送ったポコは運が良かった。

本当はすべての子たちがそうあるべきなのだけれど・・・という歯がゆい気持ちが痛いほど伝わってきました。

 

これは住まいづくりにおいても考えさせられることがあります。

 

私たちが造る住まいとは、日々を懸命に、そして健気に生き抜いていくための「巣」のようなもの。

それなのに最近は、性能やデザイン、会社の凄さやカッコよさ、コストパフォーマンスなどを、他を攻撃するためにアピールしている場面が目につきます。

「住まいの性能は○○でなくてはダメ!」

「○○なところには頼まない方がいい!」

「私たちは一番○○がうまい!!」

 

もうやめましょう、そういうの。

だって、それで傷つく人々や損なわれる世界が裏には必ずあるはずだもの。

 

もちろん、私たちも生きるのに必要な資力を得るためにお仕事をしているので、すべてがキレイごとで回るとは思っていません。

ただ、「健気に生きていくため」以上のものを欲するのは、少し(いやかなり)違うと思います。

 

お引き渡しも

 

 

 

完成見学会も

 

棟上げも

 

みんなの「健気」が集まって、粛々と営んでいくべきものだと思うのです。

いくら周りを攻撃して偉くなったとしても、1万年後には灰燼に帰しているわけですから。

 

空でポコと再会する時に笑顔でいられるように、生きていくだけです。