表と裏のハナシ②

みなさんおはこんばんにちは

代表の安東です!

 

 

アンチは○ホばっかや~

と大声で叫ぶ

中学生ユーチューバーとその親

 

○刑のハンコ押す以外は地味

とパーティーで口にする大臣

 

どんな人にも表と裏があり

そのどちらにも

敵と味方がいる

 

人間って

本当に複雑怪奇な生き物ですね・・・

 

でもそんな世捨て人みたいに

カッコつける前に

まずは自分をさらけ出さなきゃ・・・

 

 

ということで

意外にも先日好評(?)だった

安東のシリーズ

の第2弾をお届けします

 

これを読んでいただければ

私がなぜ住まいづくりを

こんなに必死にしているのか

 

その理由が分かる・・・

かもしれません

 

さてさて前回

学生時代のダークな心模様

をお話ししました

 

今回はその続きです

 

特にやりたいことも

ハッキリしておらず

 

教師人生というレールから

ハミ出す勇気もなかった私は

 

就職活動もまったくせず

卒業論文もソコソコにこなして

何事もなく卒業

 

初めての教員採用試験は

2次試験で落ちたので

 

社会人生活のスタートは

常勤講師という肩書でした

(フルタイムのパート社員といった感じ)

 

講師は基本的に

クラス担任を持たされることはなく

教壇に立つことと

部活動などの指導が

メインのお仕事

 

今思えば

なんとフリーダムな立ち位置(笑)

 

私が赴任した高校は

生徒数も多めの進学校で

講師は副担任を兼務するのが

当たり前

 

例に漏れず私も副担任となり

担任の先生の苦労をよそに

生徒たちとキャッキャと

騒いでいたのを思い出します😅

 

当時は英語の授業を

日本語を使わずに行う

オールイングリッシュ授業の

奔りだったこともあり

 

生徒に自分のことを

ANDYと呼ばせるという

若気の至りマックスレボリューション

を発動していた時期でもあります😅😅😅

 

すでに廃部が決定していた

弱小バレーボール部を任され

 

毎日汗だくになって

ボールを打ちまくっていた・・・

 

そういう意味では

 

学生時代に心を支配していた

他力本願で自堕落な自分から

 

少しずつ脱出しようとしていた

そんな時期だったのかもしれません

 

講師という身分は基本的に

1年ごとに転勤がある立場ですが

 

3年間もその高校に置いてもらえて

ようやく自分の居場所が見つかったかも

と内心安堵感に包まれていたのも

正直なところです

 

そして、教員採用試験には

4年目にしてようやく合格

 

ここから

最高の金八っつぁんライフ(?)

が幕を開ける!

 

 

・・・ハズでした

(↑は当時の写真・弟の洸輔と

まだ変顔ができる余裕があります)

 

続きは、また今度✋

または見学会で😹